タロットで自分探しを安いだけ人生で買っていたあの頃18歳で世界旅行にひとりで出かけたとかアフリカ大陸をどこまでも歩いていた青春など
自分探しの旅はいろいろあると思います。
本来なら就職活動に励まなければいけない時期なのに就職したら
それでもう自分が自分ではなくなるような気がしたりします。そんなあの頃の自分探しは無駄だったのでしょうか?
タロットで自分探しの旅へ出よう
タロットでなくてもコイントスでもいいのですが
その瞬間の風に乗ってあてどない旅に出たくなるのが青春なのでしょう。その青春をいつまでも続けていると他人の視線が痛くなってきたりします。
遊び続けるピーター・パンなんだよな! ピーターパンシンドロームなんだよ!そんな非難の声も聞こえてきたりもします。
旅から帰ってきた社会はたしかに
ピーター・パンのいたネバーランドでもないんですね。
暗く同じ型にはまった人生を繰り返し繰り返し毎日単調な思いを感じながら我慢をし続けなければならないのかもしれません。
でも
あの瞬間にタロットカードで出てきた愚者はたしかに存在していたのです。
好奇心に満ちあふれ危険な崖の縁へも天空に舞い上がりそうに踏み出そうとしていたあの頃の自分なんです。
アフリカ大陸から学んだことは会社へ入社して2~3年もすれば
その記憶すら失われてゆくのかもしれません。ですがいつかあの頃のように夢のある人生を生きたいと願う気持ちは心の奥深くでチャンスをじっと待っているのです。
コイントス(Coin Toss)で人生を探したいとき
なぜすべてが社会の決めたルールに従わなければならないのか?しかも結婚すると家庭生活に束縛されて転職すら思うようになりません。
転職する時期は勤務先の会社が不景気で人員削減の影響でリストラ候補者にされてしまったときぐらいでしょう。
できれば
もっと自由な仕事がしたいと思っても妻や子供の顔色をうかがいながら嫌な会社でも就職活動を考えなければなりません。
これは偶然ではなく社会からの必然の要求です。
社会のルールなんです。
だから
タロットカードで自分探しをしたいと思ったのにそれがこんな結果になってしまって。
なぜ偶然でなければならないのか?
がんじがらめの罠を仕掛けたのは
社会なのでしょうか?
それとも
運命なのでしょうか?
どちらにしても本当に好きな仕事がやりたいし
自分の人生はもっと別なところで開けているような気がしたりするわけです。
そういった
ルールに束縛された人生を打開するためにタロットカードで自分探しということが重要なんだとタロットの本から学んだわけです。
今は仕方がないとしても学んだ方向へ転身してゆかなければこの先に人生は暗くなる一方ですね。
得たものと失ったものの価値
失ったものは
順調な就職先の確保でしょう。このルールに従って
卒業と同時に入社していれば頭のてっぺんから足の先まで社会のロボットになってしまうわけです。でもロボットは雇用者の意思のままに生きることになんの疑問も持たないわけですから可愛そうだといえば可愛そうな気もします。
それに対して得たものは心の自由ですし精神面での自由奔放さなのでしょう。
今はその時期でなくてもいずれ自分の意思で生きられる可能性を秘めています。それが
夢のある人生なんです。
これからの人生がよりよくなるように生きてゆきたい!
経済的な面だけで束縛されていることもあります。
東京都心部なら家賃も高いんです。
自由に生きてゆくためには支出が少ないほうが束縛されずにすみます。そんな生活に憧れて田舎暮らしな人気なのでしょう。
問題は
田舎暮らしの候補地選びに失敗したときにどうするかということなのでしょうね。
- 関連記事
-
タグ/