
東洋系占術だから宿命を中心にみるわけでもないんですがそれでもなぜか東洋占術には宿命占星術のようなものが多いようです。
東洋占術って宿命をみるためにあるの?
宿命と運命とは違うとしても運命学の用語の定義が違うだけだと一般には理解されているようです。
それに輪をかけるように確率論などが絡んできます。神はさいころを振るのかなどという哲学的なテーマに興味を持つ人も多くすべては偶然だという解説に共感をおぼえるようです。
だからなんなの?というのは生活実感ですし改善策や打開策が欲しいのに確率論ではなにも出来なくなってしまいそうですね。
何も出来ないとすれば行動を起こせないわけですから・・・本当になにも変わりません。今が悪い運気なら明日も悪い運気ですし明後日は更に悪化する可能性も高そうです。
運の良くなる確率が99%あったとしてもよくならないかもしれません。確率で判断するリスクはいつでもつきまとっています。いかにも科学的のように見える確率論でも人間の運勢のように複雑な事象はわからないものなのでしょう。。
そして宿命というのはある種の偏った運命傾向でもあります。その傾向が金運の無さにも恋愛に破れることにも影響を及ぼしているといわれれば気になりますね。
でもそういう傾向はどうやって調べればいいのでしょうか。
実は根拠があまり科学的ではないから信じられないという人の割合が多いようです。それでいてラッキーチャンスは欲しいというのもどこか矛盾しているのかもしれません。
もしもそん宿命を避けたければなにをすればいいの?
簡単な事です。宿命は無い!と信じればいいんです。すべては前世からの約束事だと思うから宿命のように感じるだけでしょう。スピリチュアル系ならその出来事に意味が含まれていることになりますし偶然論者ならあくまでもごくごく僅かな確率で出現した滅多に無い不幸な現象だと判断するのですから・・・
宿命論の欠点はいつでもいわれているとおり人生はすべて定められているということにあります。当然定められたレースの存在は誰にもわかりません。なので自由意志が介入する余地がないということに尽きます。
個々の出来事や選択肢に関しては一見選択肢が多そうにみえます。でもどんな選択肢をとったとしても最終的には破財の相だとか家族不和だとか・・・改善できることはすべて改善しても結果は全く同じところに辿り着きます。
ゴールが決まっていてコースは自由というのが宿命論的発想なのでしょう。とはいえ自由意志はいくらでも働かせることができそうです。いつでも幸運を掴むチャンスが存在するのも本当なのでしょう。
それでも最終ゴールがある種の不運ならその不運に辿り着く道筋に選択の余地があるということですし・・・
いかがでしたか?宿命的な占術ではあなたの人生は結局こうなる!ということですが行動によって変える事も可能だという占術もあるので無気力なタイプなら宿命をそのまま受け入れるでしょうし積極的な打開派ならなにがなんでも運命路線を変えてみたいと思うのでしょう。
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