
運命学の本はいつでも悪い時期は今が踏ん張りどころだと解説されています。我慢の時なのでしょう。大きくステップアップして次なるステージにランクアップするための足踏み状態の時期だともいわれています。本当に試練の時ならいいんですが・・・もしかして・・・
試練の時の過ごし方
いつまでも続く嵐は存在しない!そう自分に言い聞かせて今の状態を希望に変えるための方便だと思うと途端に信用できなくなってしまいます。
方便って便利なようで怪しげな雰囲気があります。言い訳とも似ているようで言い逃れとも違うようで・・・
とはいえ現実には試練なんだかどうなんだか怪しい暗雲がたちこめています。金運は最悪だし家族の心はバラバラなので家族の絆などの言葉も空虚に感じられます。
試練だと天がもっと耐えて頑張るように期待をかけてくれているのでしょう。でも運命が存在しないのなら偶然が寄り集まって今の凶運を招いているということになります。
試練でないのなら悪い運の要素をそれぞれにブロック分けして比較的なんとかなりそうなブロックから攻略しなければ次のステップはなさそうです。
試練と信じて頑張るのもいいですし実態は悪い運そのものだととらえて対策を講じるのもいいのかもしれません。
試練から学ぶいろいろな心模様
試練の時だったと思うのは後から思い出して笑い話に出来る時期になったときなのでしょう。試練ではなく単純に凶運ならその先は運命が・・・
学べるとしたら運が良くて試練から脱出できたという心の記憶を持てることでしょう。本当に試練なら冬の後には必ず春が廻ってきます。
そのときになって試練だったなぁ!あの時は辛かったけどその体験の上に今の幸せがあると実感することも試練の味をかみしめる思い出話になりそうです。
問題は試練ではなく悪い運へ向かって1直線に進んでいる場合でしょう。試練と感じると後がなくなります。
そんな悠長なことを考えてはいけません。考えるのは無数ですが実行するのは今のひとつの出来事でしかないわけですから。
いかがでしたか?試練なのか試練でなく危険な状況なのか判読不明なことってないでしょうか?どう解釈するかは自由ですが間違ってしまうともう後がないのかもしれませんね。
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