
ロジックは一般社会のためにあります。だからロジカルシンキングで説明しないと企画書も通らないということも発生します。でもロジックだけで発想が生まれるのは一部の天才だけなのかもしれません。
誰のためにあるの?ロジカルシンキングって!
論理的であることは自分以外の他人に理解を共有するための優れたツールなのかもしれません。ツールは道具ですから道具は使い手次第ということですね。
発想の段階で緻密な構想を練るタイプはあまりいい企画を立てられないようです。企画立案の担当者がこのタイプだと会社の利益は吹っ飛んでしまいそうですね。
企画書はアイデアがもとになりますし発想力の問題ですがその企画を通すためには企画会議のメンバーに理解できる共通言語をつかわなければなりません。
この部分が論理的な思考ということなのでしょう。発想があまりにも平凡なものでもロジックでお化粧直しをすれば通ることもありそうです。
つまり論理的であることは社会からの要求なのでしょう。
個人的事柄を論理立てるのはちょっとね!

個人的な事柄の大半は些細な日常的に処理しなければならないものだったりもします。
夕食のお買い物とか日曜日の予定など・・・
こういう事柄は後回しができます。先送りできるということですね。
原動力が感情なのでやる気にならなければどんな簡単な事柄でも出来ないものなのでしょう。
買い物に行くとして忘れると二度手間になるから買い物リストを作りますね。これは効率もありますが後日またそこへ行くのが面倒だという感情からの要請でもあります。
忘れることも多いのでしょうが・・・でも忘れてもまた来ればいい事柄のリストですから気にすることもないのでしょう。
それに日曜日は映画を見に行くと決めていても突然シン・ゴジラをみる気分ではなくなったりもして・・・
社会的に論理的であることと個人的に感情を優先させることは違うようです。そして生活がアンバランスになれば不運を呼び込みやすい体質になるかもしれません。
いかがでしたか?
感情と論理をつかいこなすことは日常生活をより窮屈にする可能性も高いようです。プライベートと社会的な事柄での感情と論理の優先順位はいつでもチェックしておきたいものですね。
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