
運命の人とか運命の恋・・・運命の出会いなどに人気があったのはかなり昔の時代なのでしょう。今は運命の恋人というのは死語に近いのかもしれません。時代が若ければ将来や未来に夢をかけて新しい家庭を築きたいという願いが多かったようです。
運命の人はいなくても運命の出会いはある
昭和レトロの写真などをネットで見ていると新婚旅行の定番が熱海だった時代の写真がみつかります。白黒モノトーンカラーやセピア色だったりするので遠い遠い世界の異次元の日本のようではありますが過去にそういう時代があったようです。熱海の温泉旅館へ新婚旅行へ出かけスマートボールという娯楽らしきものをふたりで楽しんでいるようなので大切な時代の記念館なのでしょう。ただそういうふたりはもうこの世にはいないのかもしれませんが・・・
いい時代の熱海を眺めていたらその後には熱海は不倫旅行のメッカだった時代もありその後廃れていったようです。熱海だけを定点観測してもいろいろと感じさせられるところがあります。もしかして当時の恋愛には運命の恋人が存在したのかもしれません。そんな熱海を感じさせてくれる古い写真がみつかります。
その後バブル期から新婚旅行は海外で・・・そんな流れに変化していったようですがなぜかハワイに新婚旅行に行くと離婚するという占い師の都市伝説的な見解もあったりもしますが・・・
バブル期は景気がよかったようでいていつかはバブルが崩壊して破綻する予感が人々にはあったのかもしれません。その分熱狂的でもあり不安神経症のような雰囲気でもあった感じですね。運命の恋はその頃から変質していったのでしょう。
結婚が失敗に終わりたくない気持ちから恋人には保証を求めていた気配があります。この恋愛って信じてもいいのね!という気持ちが運命という保証を必要としていたのでしょう。でも出会いがなければ恋愛に発展することはないのでこの世界で偶然に出会った二人というだけで奇跡なのだとは思います。だから運命の出会いはあるのが当然なのでしょう。
運命の恋を人は信用できなくなってきた時代
時代が所得の格差拡大と時給の低下で高給を得られる職業に就ける可能性が低くなってきています。そういう事情から子供の時にすでに両親が離婚したり親戚の誰かが離婚したり運命の恋人とは真逆の現実を見過ぎているからもそういうことが言えそうです。
出会いに運命を感じてもそれが運命の恋とは思えないクールさがあるのでしょう。もしかして結婚生活はある時期だけのものかもしれない!とか・・・
言葉が死語になるには時代背景がつきもののようです。今の時代の恋愛は運命の恋人だといわれてもある時期限定での運命の恋人だとしか実感できないのかもしれません。結婚はなにも将来を保証してくれてはいませんし・・・
いかがでしたか?レトロな言葉なのかもしれない運命の恋人でも新しい定義を与えればよみがえるかもしれません。3年間は運命が保証してくれている恋だとか・・・ただその保証期間はどんどん短くなってきているようですが・・・
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